子宮頸がん 完治までの成功体験記


なった本人でないとその気持ちはわからない。。。。

 

この体験談が今苦しむ方々に希望の光となるように

私が子宮頸癌になって完治するまでの経緯をまとめてみました

今 苦しんでる方の参考になれば幸いです。

●2011.4/18    大学病院初診 

●2011.4/25〜 抗がん剤治療開始
私は癌細胞が大きかったために、外科手術の前に腫瘍を小さくする目的で 抗がん剤治療を4クールすることを病院からの勧めで開始しました。
始めの1クール目で、髪が抜け皮膚は茶色に、40度の高熱がでたり、トイレで失神したりと心身ともにボロボロに…あまりの辛さに 残りの3クールをどうしても受けることができなかったのです。
抗がん剤治療で腫瘍が小さくなったのですが、また大きくなってきたので 8/3に外科手術をしました。
その時の細胞診の結果を、毎日 ベットで祈るような気持ちで待っていましたが、
医師から伝えられた言葉は 『顔つきの悪い癌細胞』でした。
そして、さらに最悪な結果を伝えられることに…

『浸潤細胞有り』
との結果で 翌月には再手術をすると告げられました。
全身麻酔の影響で、私は声がでなくなる期間が2週間ほどあり、
声がでない、、、、、
話すことができない、、、、
そんなストレスがものすごく大きかったです。
そして気づけば 鬱的傾向に…
何日も眠ることができない、、、、
食事が砂利を噛んでいるようで喉を通らない、、、、
当時、泣きながら 食事を飲み込んだことを今も鮮明に覚えています。

そんな時 友人がランチに連れ出してくれました。
お洒落なイタリアンのお店でした。
食べれない私を気遣って外に連れ出してくれた彼女には 感謝しています。
大学病院に鬱的傾向があることを告げて、全身麻酔の外科手術をすることは 心身ともに苦しいと訴えたところ、
心療内科を受診すれば、すぐに良くなると言われました。
しかし、心の苦しさを 薬で対処することに恐怖を感じ、心療内科には通いませんでした。

その頃、大学病院で月に一度の血液検査を受けていて、抗がん剤治療のあとから腫瘍マーカーの数値が下がって喜んだのもつかの間、外科手術の4ヶ月後には受診マーカーの数値が基準値を超えてしまいました。
大学病院で先生には、ほっておいたら死んでしまうと言われましたが、また薬の副作用に苦しむことを考えると、耐えられない恐怖で病院から逃げて帰ってきてしまいました。

その帰り道、初めて岡崎内科に電話をしました。

たまたま、岡崎先生が電話口に!

経緯を話し、外科手術を受け入れることが恐ろしくて大学病院を逃げ出してきたと伝えると、

その時先生は、私が治してあげます。

外科手術はしないでいいです。と仰ってくださったんです!

9月に予約をとり 岡崎内科へ。

藁をもすがる思いで参りましたと申し上げると、

この治療法は藁ではありませんと 力強く言われたのを今もよく覚えています。


お支払いした金額は 初診料と薬代を入れて

1700円ほどでした。

その日から処方された副作用のない水薬を飲み始めました

日を追うごとに 腰痛がなくなり、冷えていた身体をあまり感じなくなりました

11月の血液検査結果では、まだ腫瘍マーカーは基準値を超えていましたが、体調はぐんと良くなっていました。

岡崎先生は、体調が良いのが一番です。

数字はあとからついてきます。と、明るく仰ったので私はあまり不安を感じることなく日々の生活を送ることができました。


そして、薬を飲み始めて四か月後 腫瘍マーカーは 基準値内になりました。

近所で人気の産婦人科で 子宮頸がんの検査を受けたところ 癌は見当たらないとのことで おかげさまで今でも元気に仕事をしております。


当時、


当時、


当時、


上記は私自身の体験や当時の心の動きも合わせてご紹介しました。自分で選択した判断ではありましたが、私にはこの方法があっていたから完治できたと理解しています。だからあなたにとって私と同じ治療法で必ず治るとは断言できません。あくまでの個人の判断で命の選択をしていただきたく、しかし、私の完治体験をさらに詳しく聞きたい方であれば、当時の血液検査、腫瘍マーカーの数値のデータなどもお見せすることは可能です。運気がわかるホロスコープカウンセリングも合わせて今を苦しむ方々のお力になれればと思います。

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